Get Over 6

(パターンB)



部室に入ると、赤也がロッカーの前で何かをしているのが、目についた。

その少し後ろで柳生と仁王が立つ。

「柳生、何があったんだ?」

その声で柳生と仁王が振り向いた。

真っ先に振り向くと思っていた赤也が黙々とその作業に没頭している。

柳にして見れば、違和感があった。

「赤也がな、部を辞めたいとか言ってるんよ」

仁王が柳生の代りに答えた。

赤也が辞める?その言葉に柳は衝撃を受けた。

「赤也…本当なのか?」

柳の声に今まで黙々と動かしていた手が止まった。

「…」

それでも、赤也は何も言わずにいた。

「赤也っ!」

気がつくと、柳は声
怒りを込めて張り上げていた。

滅多に怒らない、怒鳴らない柳に仁王と柳生は驚いていた。

仁王は面白そうだったが。

「まだ誰にも言ってないっス」

「どうしてだ!テニスをやめるのか?」

赤也はスッと立ち上がる。

しかし、ロッカーの方に顔を向けたままだった。

「テニスにはやめない…でも、ここは辞めるっス」

少し、元気のない声。

それでいて、意思のある声。

柳はショックを隠せない。

理由が分からない。突然にそう言った。

「俺…先輩を傷つけた。真田副部長にも柳先輩にも顔を合わせられないっスよ」

「それだけか?」

柳の声が、表情が険しくなる。

「そうっスよ。俺は副部長がいないと自分を抑えられない。もう
自信がないっスよっ!」

赤也はようやく、声を張り上げながら、柳を正面から見据えた。

パシーン

部室内に響きわたる音。

柳生の驚いた顔。

仁王の少し笑みを浮かべた顔。

そして、一番ビックリした赤也の顔。

「甘えるなっ!それだけの理由でここを出すわけにはいかない。
それにお前は来年の立海を支えるエースなんだ。もう少しは立場を考えろっ!」

柳の放った平手が赤也の頬を直撃した。

赤也は頬に手を押さえながら、うなだれていた。

しばらく、数分はそのまま時が止まったように静かになった。


ガチャ


「赤也、たるんどるぞっ!」

その声とともに、部室に入ってきたのは合宿にいるはずの真田であった。

「弦一郎?」

その場にいた四人が一斉に同じ疑問を思った。

真田はそんなことお構いなしに、赤也の前に歩み寄る。


バシッ


真田の平手が飛ぶ。

赤也の身体がよろめいたが、倒れることなく、踏みとどまった。

その予想外の出来事に柳が驚いていた。

「ふ…副部長…」

赤也は殴られた場所を再び手をあてながら、真田を見つめた。

「俺がいないと、自分を抑えられんだと?甘えるな、赤也。
それがお前の今後の課題だといつもいっているだろうっ!
それに、お前は俺を越えるのではなかったのか?」

真田の表情はいくらか、怒っている。

気がつくと、柳生と仁王の姿がどこにもなかった。


―俺は先輩を越えるっスよ―


赤也の脳裏に一年生の時の記憶が蘇る。

追い込まれると、発動する体の高揚感と瞳の充血。

そして勝つために手段を選ばない残虐性が飛び出す。

抑えられない気持ち。

もう一人の自分が暴れている感覚。

それに伴う、開放感。

その時も真田相手に赤也は発動した。

だが、真田にはまったくと言っていいほど、きかなかった。


『まだまだ、テニスの腕よりも精神的な面を鍛える必要がある』

そう、言われた。



「副部長…俺出来ますか

「努力した分だけ、それ相応の結果がでる。
それでも結果がよくなければ、また、努力すればいいだけのことだ。
後は自分自身が強く思うことだ」

赤也は真田を見据えると、くすっと笑った。

「そう
っスね」

その赤也の笑みを見て、柳は真田の後ろで気づかれないように笑みをこぼした。



「まぁ、一時はどうなることかと思いましたが…」

部室の外で柳生は一段落ついたことにホッとしていた。

「流石は真田。やることが違う」

仁王はこうなることを知っているような物言いで、終始笑みを浮かべていた。


部室に真田と柳の二人っきり。

赤也が今までいたのだが、柳が真田と二人きりで話がしたいというので、外へ出てもらった。

「弦一郎」

柳はため息を吐くと、真田の顔を見つめた。

久しぶりに見る真田の顔。その声。

すべてにおいて、柳の心が躍動する。

今すぐ、その胸の中に飛び込んでいきたい。

真田は柳の言葉を待っていた。

「弦一郎、すまない。お前に隠していたことがある」

その柳の言葉に真田の眉がピクリと反応した。

「お前が合宿に行っている間に俺は赤也に抱かれそうになった」

真田の顔が険しくなった。

「俺は、赤也の俺に対する気持ちを知っていた。でも俺にはお前がいる。
抱かれそうになったとき抵抗できたはずなのに…
いや、抵抗しなければいけなかったのに…俺は出来なかった…弦一郎すまない」

柳は瞳に涙を溜め、そして、その場にひざまずいた。

「蓮ニっ!」

その光景に真田は驚いたが、止めることもできなかった。

「俺はお前を裏切った。一瞬でも赤也の想いに答えようと思ってしまった」

真田は天井を仰ぎ、静かに目を閉じた。

拳も肩も少し震えていた。

「蓮ニ」

真田は唇を噛みしめると、ひざまずいた柳と同じように、その場に腰を落とした。

バシッ

柳の頬が赤く染まった。

柳は予想通りといったように、その真田の行動にはあまり驚いてはいない。

だが、滅多に柳を殴らない真田に殴らせたということに、柳は胸が苦しくなった。

「蓮ニ、俺はお前の赤也へ対する想いは知っている。でも今の俺はお前に怒りすら抱いている」

柳は頬を押さえながら、真田を見る。

「弦一郎…俺はお前にどんなことをされようと、耐えられる。
それだけのことをしてしまったのだから。
でも、赤也を責めないで欲しい。全ては俺がいけないんだ」

 柳は自分よりも赤也を心配した。

「蓮ニ…俺が何故怒っているか分かるか?」

 真田は優しく柳に問いかける。
その問いかけに柳は憔悴しきった顔を上げた。

「お前が赤也に甘すぎるからだ。
お前が赤也に取った行動は【情】だ。
それは俺だけでなく、赤也まで傷つけることなんだ」

柳は真田の言葉を一語一語、真剣に聞いていた。

「もっと赤也を幸せに大切にしたいのなら、
お前の本心を話してやれ。赤也に…」

「俺の本心を?」

「そうだ。赤也もお前を待っているはずだ」


『赤也
俺には弦一郎がいる』


『そんなの関係ない。俺はただ柳先輩が好きだから』


そう、言って笑った赤也の顔を思い出す。

「行って来い、蓮ニ。赤也にお前を諦めさせてやれ」

真田は立ち上がる柳を笑顔でそう、いった。

柳は振り向いて、あぁ。と一言返事をして、部室を出て行った。

誰もいなくなった部屋に真田は椅子に身体を横たわせていた。

練習中の合間、柳は赤也を呼び出した。

少し、コートから離れたところで、柳は話を切り出した。

「赤也、今まですまない。今、お前にはっきりと言おう。
俺は弦一郎が好きだ。お前と比べようがないほどにな。だからお前の想いには答えられない」

少し、沈黙が流れた。だが、赤也はニマッと笑みを浮かべた。

「俺、嬉しいっスよ」

「何故だ?」

普通なら落ち込んでいてもおかしくない状況で赤也は笑っていた。

「柳先輩から、本心が聞けるなんて。
今まで何か気を使ってくれているみたいで…嫌だった。何か、今はすごく嬉しいっス」

「赤也、長く待たせてしまってすまなかったな」

「先輩、俺本当は知ってたんですよ。副部長と先輩のこと。
でも、俺、どうしても先輩の口から返事を聞きたかったっス」


スルリ


赤也の背後から仁王がやってきた。

「赤也、俺とシングルせん?」

「本当っスか!」

也はその仁王と試合が出来ることに喜んだ。

柳はその光景に、珍しいな。と思った。仁王は滅多にシングルはしない。

仁王は赤也を連れてコートに行こうとした。

その時、仁王が振り向いた。クスッと仁王が笑みをこぼした。

柳は仁王の意図を知り、笑みを浮かべた。柳は部室へと戻っていった。



「弦一郎」

椅子の上で真田が珍しく、寝ていた。

静かに寝息を立てて。

普段ならそんなこと絶対にしないのに。

柳はその真田に近づく。

そっと、頬に手を触れる。

一週間ぶりに触れた真田の肌はとても暖かかった。

「弦一郎、俺は許してくれとは言わない。
ただ、俺にはお前だけなんだ…
こんな風にそばにいなくて、会えないだけで、胸が苦しくなる…存在は…」

柳はそっと、唇を重ねてみた。


―弦一郎…好きだ―

そう、耳元でつぶやいた。

「蓮ニ、俺もだ」

寝ていたはずの真田が目を覚ました。

驚く、柳を尻目に、真田は柳を抱きしめた。

「蓮ニ、もう俺のそばから離れるな。ずっと一緒だ。これからも…そして、いつまでも―」

久しぶりに抱き合った二人の肌と温もりはとても気持ちがよかった。



パターンB おわり